【地域めぐり編PART2】第20問の答え
[2020年6月19日]
[2020年6月19日]
伊奈道(いなみち)
五日市と東京(江戸)を結ぶ道筋、今の地方図を見ると「五日市街道」表示されているが、近世以前のものにはこの表示はなく「伊奈みち」と表示されている。砂川の天王橋際には「右いなミち」と記された、明和2年(1765)の自然石道標があり、八王子市諏訪宿北側にも「いなみち」と書かれたところがある、これらのことから伊奈は五日市より古くから、秋川谷を代表する一般的なポイントであったことがわかる。
伊奈道が世に出たのは天正18年徳川家康が江戸入府に伴って、江戸城整備を始めたころが一つの目処であろう。伊奈はそれ以前から伊奈石といわれた石材の埋もれていたところで、石材処理に優れた技術を持っていた信州伊那谷高遠付近の石切(のちに石工という)職人が、この伊那に目をつけて移住し、石臼・井戸桁・墓石・石仏などの石造物製作に従事していた。これらのことから「伊奈」という地名は、移住職人が生地「伊那」の名を取って名付けたのだ、などと書かれたものもあり(例えば新編武蔵風土記稿)これを定説のように思うものもあるが、これには異論がある。とにかく伊奈大福本久家の文書「屋輔改棟別帳」など見ても、多くの石切が移住してきたことは、事実である。(後略) 『五日市町の古道と地名』(五日市町教育委員会)より抜粋