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あしあと

    多西地区

    • [公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:3411
    草花01_04馬頭観音の画像

    草花01-04
    馬頭観音
    天保十一年(1840)
    馬頭の浮彫りの下に篆書体で観世音とあり。馬頭浮彫りが絵文字として用いられた例。

    草花01_05馬頭観音の画像

    草花01-05
    馬頭観音
    年代不明
    一面二手坐像の馬頭観音。

    草花06_38地蔵菩薩(六地蔵)の画像

    草花06-38
    地蔵菩薩(六地蔵)
    宝暦六年(1756)
    多少の違いはあるが基本的には『仏像絵図』の名称と持物を採用している。

    草花06_43廻国・巡拝塔の画像

    草花06-43
    廻国・巡拝塔
    文政五年(1822)。
    市内には出羽三山塔は少ない。「八日供養」とは何なのか不詳。

    菅生01_01諸仏の画像

    菅生01-01
    諸仏
    宝永三年(1706)
    この地で即身成仏した真言密教の行者「大聖院龍海」の墓碑と伝えられている。聖人として村人達の信仰の対象となってきた。平成4年に土地の人達86人によって現在のお堂が建てられ、その中に安置された。

    菅生01_02馬頭観音の画像

    菅生01-02
    馬頭観音
    年代不明
    三面多手立像の馬頭観音。

    菅生02_03手洗い石の画像

    菅生02-03
    手洗い石
    天保十四年(1843)
    信州石工保科保正が作ったもの。

    菅生04_25地蔵菩薩の画像

    菅生04-25
    地蔵菩薩
    文久四年(1864)
    地蔵の浄土、伽羅陀山で耳に手をあて、衆生の訴えを聞き漏らすまいとする地蔵の姿を現している。

    菅生04_24諸神の画像

    菅生04-27
    道祖神
    文化十二年(1815)
    西多摩には道祖神は少なく、しかも文字塔のみである。道祖神は道の神、境の神であると同時に男女の結びの神でもある。

    原小宮01_05経典供養塔の画像

    原小宮01-05
    経典供養塔
    安永九年(1780)
    真言宗は覚鑁上人以来、阿弥陀信仰を取り入れるが、一方でいわば「南無阿弥陀仏」の名号に対抗して、光明真言の御利益を民衆の間に広めていく。


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