【中世編】第1問の答え
[2021年3月19日]
[2021年3月19日]
弥仁親王(いやひと)のちの後光厳天皇
1338-1374 南北朝時代,北朝第4代天皇。在位1352-71。
建武(けんむ)5=延元3年3月2日生まれ。光厳(こうごん)天皇の第2皇子。
母は藤原秀子(陽禄門院)。崇光天皇の同母弟。
室町幕府内の紛争で北朝の天皇,皇太子が廃され(正平(しょうへい)一統),北朝の天皇が不在となるが,足利義詮(よしあきら)によって親王宣下も神器もなく,後伏見天皇妃(広義門院)の命令という異常な方法で即位した。
在位20年の間,南北両朝の抗争のためしばしば京都を脱出した。
応安7=文中3年1月29日死去。37歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。
諱(いみな)は弥仁(いやひと)。法名は光融。
歌集に「後光厳院百首和歌」,日記に「後光厳院御記」。