五日市郷土館 webミニ展示「令和8年は午年!」
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令和8年の干支は「午(うま)」です。あきる野市内の午(馬)に関する資料2つを紹介します。
なお、五日市郷土館内で展示しているミニ展示「令和8年は午年!」のweb公開版です。

馬頭観音(ばとうかんのん)
これは五日市郷土館敷地内の古民家、「旧市倉家住宅」の庭にある「馬頭観音」と呼ばれる石造物です。
馬頭観音とは、頭上に馬頭(馬のあたま)をいただく観音像です。江戸時代中期頃から馬が物資の輸送に使われるようになり、馬の安全の守り神として路傍に建てられるようになりました。
市内の五日市や伊奈は江戸時代から市が開かれ、多くの物資が流通しました。江戸時代末期の五日市では、炭荷の数量から逆算すると市日(市が立つ日)には100頭近い馬が往来していた計算になるそうです。
この石造物は昭和16年に建てられており、発見されている市内の馬頭観音では最も新しいものです。昭和期に入ると運送方法が馬から鉄道やトラックに変わったため、馬頭観音も作られなくなっていきました。
参考『あきる野市の石造物』『五日市の石仏』
馬にまつわるあきる野の昔の話「草競馬」
旧秋川市の頃に市制20周年記念事業として発行した『秋川の昔の話』(平成4年発行)から「草競馬」という話を紹介します。
この本は、市民の生活史を記録することを目的として市内の各地域で行った座談会「秋川市の昔を語る会」の内容を中心にまとめられたものです。およそ100年前のあきる野を馬が駆け抜ける風景を思い浮かべてみてください。

「草競馬」
五月の節句の頃になると、この地域の娯楽の一つに草競馬があった。
大正初めの頃、荷馬車の馬と農耕馬を飼っていた。それらの馬をひき出して、秋川の秋留橋の川上や川下で馬の競争が行われた。曲がり角には竹で粗い囲いを作り、馬が跳び出さないようにした。
当日は、各商店から五色ののぼりが寄贈され、大小いくつもの五色の「ふきながし」があげられ、川風にたなびいた。優勝者にこの布と景品が渡された。合図で五・六頭の農耕馬が、勢いよくいっせいに走り出した。馬が走ると川原の小石が飛んで、それはすごいものだった。
この日は娘たちも連れだって見物に行った。油屋のみっちゃん、きいちゃんは、兄弟で人気騎手になって活躍した。
昭和十二・三年頃、西多摩郡馬匹(ばひつ)畜産組合厩舎と馬場が、西秋留駅(現秋川駅)の近くにあった。組合には調教師が二人いた。その馬場で草競馬が昭和十六年まで行われた。馬場の周囲は、一キロメートル位あり、草競馬だからおもしろかった。馬が途中で止まってしまったり、逆に走ってみたりの迷走ぶりで、観客を笑わせた。馬を競走馬向きに仕込んでいないので、しばしばハプニングが起こった。
観客の中には、賭けごとをする専門家もいたようだし、一升びんをさげてきて、酒をくみ交わしながら見物する者もいた。優勝旗も授与されたし、景品も出したりで、大きなにぎわいで楽しめた。
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電話: 文化財係(五日市郷土館) 042-596-4069/ファクス:文化財係 042-596-1252
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