「あきる野歴史クイズ」【近代編】
【人物編】
「あきる野歴史クイズ」は、市民解説員が「市内探訪」や自主研修・研究などで学んだことや訪れた場所を通して得た、あきる野市の歴史等について、市民の皆さんにも楽しんでいただこうと企画したものです。
ここでは、「人物編と題して、あきる野出身者や活躍したあきる野ゆかりの人々)」に関する問題が出題されます。
外出自粛の中、あきる野の山・川、そして、長い歴史に思いをはせながら、ご自宅でクイズを楽しんでみてください。
問題は、随時追加していきますので、まだまだ新しい発見ができますよ。
第1問
歌碑問題1
「筏組む 木の音冴えて水ませる あさけのたにに 鶯の鳴く」の作者はダレ?
(歌碑が乙津の徳雲院境内に建てられています)
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第2問
歌碑問題2
「屋根に来て かがやく鶯や 紙つくり」の作者は?
(ふるさと工房敷地内に建てられています)
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第3問
歌碑問題3
「いつかいちどは 来たいと思うた 見ても見あきぬ あき川に」の作者は?
(小和田 佳月橋脇にあります)
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第4問
明治6年(1873)五日市村中宿に生まれ、日本のナイチンゲールと称えられた人の胸像が、あきる野市役所五日市出張所の前にありますが、だれの胸像でしょうか?
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第5問
秋川流域に電灯をともし、水道の給水事業や五日市鉄道の開通など、生活インフラの整備に尽力したあきる野市ゆかりの人物は誰でしょう?
(阿伎留神社境内に胸像とレリーフが建てられています)
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第6問
大正から昭和にかけて、繭年間収量1,200貫(4,500kg)、個人日本一に輝いたあきる野ゆかりの人物の名は?
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第7問
現在の日本国憲法に優るとも劣らない民主的な内容であると評価の高い五日市憲法草案起草した人は誰でしょう?
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第8問
嘉永4年(1851)あきる野市引田に生まれ、三多摩の人々はもちろん、近県の人々を助けた海老沢峰章の功績を讃えた顕彰碑や道標、道の名「えびさわ道」にも名を残している人の職業は?
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第9問
毎年、JR五日市線の東秋留駅・秋川駅・武蔵引田駅・武蔵増戸駅で春になると美しい花を咲かせる桜の木がありますが、これは、だれがいつ植えたのでしょうか?
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第10問
あきる野市平沢に生まれた田中丘隅は、酒匂川の堤防を改修し、洪水を防ぎました。
この堤防を「文命堤(ぶんめいづつみ)」と名付け、「文命宮」を建てて、住民に祭りを行うよう指示しました。この「文命(ぶんめい、またはぶんみょう)」とは、いったい誰のことでしょう?
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第11問
小中野にある黒茶屋の敷地内に「昭和の爆笑王」と言われた三遊亭歌笑の記念碑が建っています。
なぜここにあるのでしょう?
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