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「あきる野歴史クイズ」【地域めぐり編PART4】

[2021年9月17日]

「あきる野歴史クイズ」【地域めぐり編PART4】

【地域めぐり編PART4】

 「あきる野歴史クイズ」は、市民解説員が「市内探訪」や自主研修・研究などで学んだことや訪れた場所を通して得た、あきる野市の歴史等について、市民の皆さんにも楽しんでいただこうと企画したものです。

 令和3年度第2弾として、「地域めぐりPART4」を作成した問題が出題されています。

 外出自粛の中、あきる野の山・川そして、長い歴史に思いをはせながら、ご自宅でクイズを楽しんでみてください。

 新型コロナウイルス感染拡大が収まったら、ぜひ訪れてみてください。

第1問

二宮地区にある天台宗の玉泉寺には、鉦張り念仏(十夜別時念仏法要)が数年前まで行われていました。(残念ながら、現在は行われていません。)

「おじゅうや」とも呼ばれ、かつては、10月13,14,15日の縁日には三日三夜念仏の鉦が鳴り響き、多くの参拝者で賑わったそうです。

さて、この鉦の音を模して地域の子どもたちは、何と呼んでいたでしょうか?

①ジャンジャン 

②ジャンガン 

③ジャンガラ

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第2問

小川地区にある森田家は、近世に名主を務め、かつて酒造も手がけたこともある豪農です。

敷地内にある江戸時代末期を中心とした9件の建造物が現存し、利用されている貴重な建造物として、平成25年12月24日に「国登録有形文化財」に登録されました。

この登録有形文化財の登録制度は、文化財を資産として活かす新しい考え方の制度で、外観を大きく変えなければ内装を改装してレストランやホテルなどに利用することができます。

さて、現在建物の一つを改装し、甘味茶房に改装して利用している建物の名前はなんといいますか?

①見世蔵(みせぐら) 

②味噌蔵(みそぐら) 

③御看経堂(おかんきんどう)

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第3問

小川地区には、豊かな湧き水があり、肥沃な水田もありました。

新編武蔵風土記稿には、「……水田多く、陸田少し、土性は眞土にして、最良田なり、ゆえに民家も自ずから潤沢せり、……」とあります。

昭和の中頃までこの豊富な水量を利用した水車が6台稼働していました。

さて、この水車は何の用途で利用さていたのでしょうか?

次の中から選んでください。

①飲料用  

②脱穀用  

③水害防止用

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第4問

五日市は、5日ごとに「市」が開かれていたことでその名がついたと言われていますが、令和になった現在でもその名残である「市」が開かれています。

近年では骨董市として、毎月5日に五日市ひろばで開かれているのを始め、古くから歳の市として、12月30日に正月飾りが主に扱われています。

さて、それでは、1月10日に下町の檜原街道沿いで開かれている市は、何と呼ばれていますか?

①金物市  

②だるま市  

③種市

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第5問

現在、中央図書館増戸分室があるところは、旧増戸村役場があったところです。

さらに、その以前は千日堂というお堂が建っていました。そして、この地に明治5年(1872)学制制度が公布され、増戸小学校の前身である「陬少学舎(すうしょうがくしゃ)」が開校しました。

ところが、開校して3年後の明治8年2月に出火した火災により焼失し,学校は他のところに移りました。移ったところは次のどこでしょう?

①岩走神社  

②松岩寺  

③大悲願寺

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第6問

大正期から昭和初期にかけて、12万人もの日本人移民に対する「排日法案」や移民の入国を禁止する「新移民法」などにより日米関係・感情の悪化を危惧したギュリック博士と日本の渋沢栄一らが友情の人形(青い目の人形)交流を始めました。

昭和2年(1927)に12,000体の人形が日本全国の小学校に贈られました。

現在の戸倉小学校や檜原村の檜原小学校などにも贈られ、盛大な歓迎会も催されました。

しかし、昭和18年(1943)太平洋戦争が激化すると「青い目の人形」は「敵の人形」となり、人形破壊が全国に広がり、その多くは壊されたり、焼かれたりしてしまいました。

しかし中には、学校の先生達の優しい心により破壊を免れ、隠された青い目の人形もありました。

戸倉小学校に送られた人形も奇跡的に残っていました。

当時の人形の名前は忘れられてわかりませんでしたが、その後、ギュリック3世により贈られた新友情の人形「ローラ」とともに名前がつけられ、現在の「戸倉しろやまテラス」に大切に展示保存されています。

さて、この人形の名前は、次のどれでしょうか?

①シャロン  

②ポーラ  

③ベティ

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第7問

人々が往来するためには「道」が必要であり、人々はさまざまな方法で道を切り拓いてきました。往来が頻繁になるとその道は主要道として認知され、産物の交易にも重要な役割を担ってきました。

あきる野市では、古くから南北の道は「鎌倉道(かまくらみち)」といわれ、「すってくりょう」伝説や畠山重忠の駒繋ぎ石などとともに親しまれています。

また、東西をつなぐ道としては、古甲州道(ここうしゅうどうがあり、現在の小仏峠を通る甲州街道ができるまでは、秋川丘陵の尾根を通り、網代―高尾ー留原―小和田―柏原から左岸に渡り、子生神社へと続く道を通っていたことがわかっています。

また、近世になると伊奈道(いなみち)、のちの五日市街道は江戸への往来のための道として多くの人馬で賑わっていたそうです。

そのような街道の中でも特徴的な道として、埼玉県入間方面につながる道があります。

これは、江戸時代から昭和初期まで、入間地方でとれた米を荷馬車に積んで五日市まで定期的に通っていたことからつけられた名です。

この街道の名は次のうちどれでしょう?

①入間(いるま)街道

②埼玉(さいたま)街道   

③町屋(まちや)街道

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