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「あきる野歴史クイズ」【近代編】

[2020年6月1日]

「あきる野歴史クイズ」【近代編】

【近代編】

「あきる野歴史クイズ」は、市民解説員が「市内探訪」や自主研修・研究などで学んだことや訪れた場所を通して得た、あきる野市の歴史等について、市民の皆さんにも楽しんでいただこうと企画したものです。

ここでは、「近代(明治時代以降)」に関する問題が出題されます。

外出自粛の中、あきる野の山・川、そして、長い歴史に思いをはせながら、ご自宅でクイズを楽しんでみてください。

問題は、随時追加していきますので、まだまだ新しい発見ができますよ。

第1問

あきる野市の深沢地区にある旧家の土蔵から発見された私擬憲法草案「五日市憲法草案」が作成された時期は?

(1) 明治10年代、 (2) 明治20年代、 (3) 明治30年代

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第2問

1870(明治3年)から80(明治13年)年代にかけて自由と人民の権利を求めてさまざまな運動が展開されました。

秋川谷にも自由民権運動の指導者の若き指導者がいました。26歳という若さで夭折しましたが、その代表的な人物の名は?

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第3問

元仙台藩の武士で、さまざまな思想遍歴を経て、五日市で自由民権運動に参加し「五日市憲法草案」を起草した人物は、それは誰ですか?

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第4問

その私擬憲法草案「五日市憲法草案」が深沢地区の土蔵で発見されたのはいつのことでしょうか?

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第5問

民主的な内容を持つ私擬憲法草案「五日市憲法草案」を後世の人々に広く知ってもらうために、関連する場所3か所に碑が建てられました。

 (1)起草者の千葉卓三郎の生地の宮城県志波姫町(現:栗原市)

 (2)卓三郎の墓地がある仙台市資福寺

 (3)五日市町(現:あきる野市五日市)に建てられました。

  五日市の碑はどこに建てられたでしょうか?

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第6問

現在のJR五日市線は、大正時代に「五日市鉄道」として運行が始まりました。

出来たのは大正何年でしょうか?

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第7問

現在の武蔵引田駅は、五日市鉄道開通時は何という駅名だったでしょうか?

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第8問

大正14年(1925)に五日市線が開通しましたが、武蔵五日市駅を作るときに台地を削って平らにして駅や操車場を作りました。その時に削った土砂はどこへ運んだのでしょう。

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第9問

五日市線は拝島から熊川駅を過ぎて多摩川を渡るとまっすぐ西へ向かいます。

東秋留駅から秋川駅方面へ向かったところは、段丘を削って線路を作りました。

その際に出た土砂を運んである場所を埋め立てましたが、どこでしょう。

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第10問

雨間の地蔵院で生まれ育った棲梧寳嶽(すみきり ほうがく)さん(1876-1942)は、広徳寺の他、下記のどこのお寺で住職や学長をされたでしょうか?

 (1)鎌倉円覚寺

 (2)山梨恵林寺

 (3)現京都花園大学

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第11問

昭和38年(1963)に3社が合併して西東京バスになりましたが、奥多摩バスと高尾バスと、あと五日市に本社があった何バスでしょう。

 (1)五日市バス   (2)秋川バス   (3)五王バス 

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第12問

市内には、昭和14年に建設された長さ149m、幅6.2メートルの規模を持つコンクリート製の6連のアーチを持つ橋があります。

建設当時珍しい形を遠方からも見学に訪れたといい、平成12年に土木学会推奨土木遺産に認定されたこの橋は、次のどれでしょう?

 (1) 山田大橋  (2) 旧東秋留橋  (3) 佳月橋 

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第13問

市内にある戦後の慰霊碑(忠魂碑)を訪ねてみましょう。

  小宮地区「表忠碑」の

   (1)建てられている場所は?

   (2)揮毫者は?

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電話: 公民館係 042-559-1221

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