ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    東秋留地区

    • [公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:3416
    平沢02_068その他の画像

    平沢02-68
    その他
    享保十四年(1729)
    田中丘隅は平沢の窪嶋家の出。行商先の川崎宿の脇本陣田中氏に見こまれその養子となり、川崎宿を再興した。後、大岡越前の目にとまり、将軍吉宗に推挙されて支配勘定格代官となった。酒匂川の治水(文名堤)、著書『民間省要』などが有名。東京都指定有形文化財。

    二宮02_46経典供養塔の画像

    二宮02-46
    経典供養塔
    享保十五年(1730)
    頭上の宝冠が欠けているようだ。法華経千部読誦又は書写した供養塔。

    二宮02_52顕彰碑・記念碑・文学碑の画像

    二宮02-52
    顕彰碑
    明治四十一年(1908)
    市内からも西南戦争に動員され戦死したことがわかる。明治41年に「墓」とあったのを「碑」として顕彰したものである。

    小川02_53経典供養塔の画像

    小川02-53
    経典供養塔
    享保十二年(1727)
    ほとんど丸彫りに近く、美しい観音様である。

    小川02_58廻国・巡拝塔の画像

    小川02-58
    廻国・巡拝塔
    安永九年(1780)
    法華経を書写し、日本六十六州の霊地に奉納して回る廻国修行を成就したことを証する供養塔。

    小川08_24馬頭観音の画像

    小川08-24
    馬頭観音
    不明
    頭部宝冠部分に馬頭が彫られている。

    野辺01_06地蔵菩薩の画像

    野辺01-06
    地蔵菩薩
    元禄十一年(1698)
    木堂内に安置されている。この堂は旧鎌倉街道沿いの六道の辻(3本の道が交叉する三角地)にあったが、道路拡張工事のため隣地に移転した。

    雨間01_52道標・道橋供養塔の画像

    雨間01-52
    道標・道橋供養塔
    不明
    紀年銘がないが昭和天皇の結婚を記念して建てられたもので、昭和4~5年(1929~30)頃のものであろう。

    雨間01_55顕彰碑・記念碑・文学碑の画像

    雨間01-55
    顕彰碑・記念碑・文学碑
    明治三十九年(1906)
    大山巖の篆額。明治時代の指導的歴史家・文学博士重野安繹の撰文。「書聖」と呼ばれた明治を代表する書家日下部東作(号・鳴寉)の書と、当時一流の人物を迎えてできた碑である。

    切欠01_21顕彰碑・記念碑・文学碑の画像

    切欠01-21
    記念碑
    昭和四十六年(1971)
    (正面)境界変更記念碑秋多町(裏面)自治省告示第27号により、昭和46年4月1日、東京都八王子市と西多摩郡秋多町との間に次のような境界変更が行われた。八王子市高月町切欠の416,349平方メートル26世帯を秋多町へ、秋多町雨間大沢の15,317平方メートルを八王子市へ。


    ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます