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あしあと

    「あきる野歴史クイズ」【その他編】

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    • ID:11183

    「あきる野歴史クイズ」【その他編】

    【その他編】

    「あきる野歴史クイズ」は、市民解説員が「市内探訪」や自主研修・研究などで学んだことや訪れた場所を通して得た、あきる野市の歴史等について、市民の皆さんにも楽しんでいただこうと企画したものです。

    ここでは、「その他編」として、人口等に関する問題が出題されます。

    外出自粛の中、あきる野の山・川、そして、長い歴史に思いをはせながら、ご自宅でクイズを楽しんでみてください。

    問題は、随時追加していきますので、まだまだ新しい発見ができますよ。

    第1問

     あきる野市の人口のうち、男性と女性ではどちらが多いですか?

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    第2問

    五日市が村から町になったのはいつですか?

     (1) 明治12年  (2) 大正10年  (3) 昭和30年

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    第3問

     このように五日市町は何故発展したのでしょうか?

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    第4問

     多西村、西秋留村、東秋留村が合併して出来た町名と年代は?

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    第5問

    あきる野市は、かつて秋川市と五日市町が合併して出来た市で、ひらがなと漢字の組み合わさった自治体名として初めてのことでした。それは平成何年だったでしょうか?

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    第6問

    五日市憲法草案の起草者である千葉卓三郎の出身地は、現在もあきる野市と姉妹都市を結んでいます。

    宮城県の何市でしょうか?

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    第7問

    合併前の五日市町は、昭和60年2月11日に東北地方の栗原郡志波姫町(現栗原市)と姉妹都市を締結しました。

    それは、何県でしょうか?

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    第8問

    その姉妹都市を締結するに至った歴史的事柄があったからです。

    その歴史的事柄とは、昭和43(1968)年に発見された私擬憲法草案の起草者の千葉卓三郎の出身地だったからですが、私擬憲法草案の呼び名は?

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    第9問

    発見された私擬憲法草案には、正式な名称があります。

    次のどれでしょうか?

     (1) 大日本帝国憲法  (2) 日本帝国憲法   (3)日本国憲法

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    第10問

    起草されたのは、明治14年ころと言われていますが、当時、五日市は町だったでしょうか?村だったでしょうか?

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    第11問

    あきる野の方言でないものはどれでしょう?

      (1) そうかや  (2) いいじゃん  (3) そうだんベー

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    お問い合わせ

    あきる野市役所 教育部 生涯学習推進課
    電話: 公民館係 042-559-1221

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